「人を疑うことはコストである」という考え方はGoogleの価値観だ。Googleでの勤務経験があるIT評論家の尾原和啓氏は、Googleの価値観に「ハイパー性善説」があったと言う。著書『どこでも誰とでも働ける』で、次のように記している。
スピードが命のグーグルでは、人を疑うことさえコストととらえられています。相手の言っていることをいちいち疑って、確認を取っていたら、時間とコストがかかってしまって、スピーディーな仕事はできません。だから、相手がグーグルの価値観を共有している限り、その人を信じることが前提となっています。これをぼくは「ハイパー性善説」と呼んでいます。
ここでは、疑うことによって情報を伝達し、知識を応酬することに遅れをとるという、時間的コストの観点から述べられている。
しかし、「疑うこと」のコストは時間よりも機会損失の面で大きいのではないだろうか。特に、Googleのような新規事業の創出を目指す企業にとっては、こちらの観点のほうが重要ではないか。
『エンジニアの知的生産術』の中で、「不確かなときは楽観的に」ということが語られている。「過去の経験に基づいて一番期待値の高い選択肢を選ぶ」のでは、チャンスを逃してしまうことがあるのだ。
勘違いには2種類ある。ひとつは、悲惨な現実を楽観視してしまうことだ。もうひとつは、ポジティブな現実を悲観視してしまうことである。
前者で行動に進んだとしても、どこかで上手くいっていないことに気づいて、修正することができる。一方、後者では行動を起こさないため、誤りに気づくことができない。実はポジティブである現実に気づくことができない。
このように、みすみすチャンスを逃すことが無いように、「不確かなときは楽観的に」を「人を疑うこと」にも当てはめることで、疑うことをコストと考えているのではないだろうか。